自身を客観視する
若いうちは自身の行動や発言について、よほどのことがない限りそれほど気にはしないものだが、やがて年を重ねそれなりの大人になった場合、「もう一人の自分」の存在を考えると、何ごとにたいしても冷静に対処できるようになるかもしれない。
例えば何かの決断に悩んだ場合、もう一人の自分に問い合わせ双方納得がなされたうえでそれなりの決断をするというわけだ。実はもう一人の自分がいるわけではない。何らかの決断に悩んでいるときの「もう一人の自分」の存在は、安易に即決し後で後悔しないためのひとつのツールだと考えればよい。
一方何かの行動をする場合、もう一人の自分から見たらどう思うかと問い合わせ、その行動にブレーキがかかったり、逆にもっと積極的にと背中を押される場合もあるだろう。
また即断しなければならないときは、もう一人の自分に問い合わせる余裕などない場合もある。このようなときは後から問い合わせてどうだったかを振り返るのもいいいかもしれない。
ここでいう「もう一人の自分」は、あらゆる場面に必要だということではない。何かに悩んだり、大きな決断が必要となった時、さらに何らかの岐路に立たされ、どちらに進むべきか悩んだ時など。慎重に判断し行動しなければならない場合だ。