原稿の棒読み
首相はじめ多くの閣僚が、何かにつけ人前で発表するときに「原稿の棒読み」が常態化している。特にひどかったのが菅総理だ。自身の発言に自信がないのか、言葉の正確性を欠き後々問題視されることを懸念してなのか、聞かされる側にとっては、原稿読みというのは事務的な手続きとしか思えず、真意はいったいどこにあるのかさっぱり伝わってこない。
一方諸外国の要人の国民への伝達方法は、原稿があったとしても、それらに目もくれず自身の言葉で、時には大きなゼスチャーを交えながら、視聴者の心に残る説明をするトップリーダーが数多く存在することは周知の事実である。
国民側としては、説明に多少の言い間違いがあったとしても、自身の思いを一生懸命相手に伝えたい情熱があれば、間違いなく共感は得られるものだ。
一方選挙前の該当演説では、原稿なしに自身の思いを熱く語る候補者が多数いるにも関わらず、いざ何らかの答弁になると原稿読みに切り替える議員が大半なのは、当該テーマを熟知しておらず、かつ失言を警戒するあまり消極的な原稿読みに走ってしまうというのが本音だと思う。
いずれにしても自身の思いを相手に伝える時には、原稿など不要だ。頭の中で事前に当該テーマをしっかり整理し、自身の考えを相手に熱くわかりやすく伝えるパフォーマンスができるかが、これからのリーダーふさわしい条件になるだろう。